万華鏡のようなヴィンテージ万年筆の世界

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Stilografica

若い時は海が好きで横浜に引っ越し、今は緑に囲まれた生活がしたいと那須にやって来ました。 サックスプレイヤー、web ライター、そして万年筆コレクターでもあります。


二つの世界大戦を生き抜き、1世紀以上の歴史を持つ万年筆。

ボールペンの登場で一旦は消えかかったが、見事カムバックした万年筆。

 

生き抜いた時代の記憶や職人たちの思いを身にまとうヴィンテージ万年筆は、

突然目の前に現れたかと思うと、いつの間にか誰かの手に渡り姿を消してしまいます。

 

時間と空間を超えて語りかけるヴィンテージ万年筆の世界には、

私たちを捉えて離さない何かがあるのです。

 

前の持ち主はどんな人だったのだろうか、活躍した時代は今より輝いていたのだろうか・・

時代背景、技術の進歩、開発者の心意気、愛用者の思い出など、見つめる角度によって

万華鏡のように変化するヴィンテージ万年筆の世界を覗いてみましょう。

 

職人技が光る/60年代 モンブラン マイスターシュテュック149

 

モンブランは、今では世界的なファッションブランドの一つですが、

ルーツはれっきとしたドイツの万年筆メーカーです。

 

第二次世界大戦によって古い記録は残っていませんが、

1908年に設立された「ジンプロフィラーペンカンパニー」からスタートしたと

言われています。

 

フラッグシップモデルの「マイスターシュテュック149 」は1952年に登場し、

改良を重ねられながら現在も世界の万年筆の頂点に君臨。

149の最大の魅力は、何と言っても堂々とした葉巻型のボディと惚れ惚れするような

大ぶりのペン先にあります。

特に60年代のペン先は149史上でNo.1と筆者は思っています。

引き締まった美しいフォルムと柔らかくキレの良い書き味は、

他の年代とは一味違うと感じます。

 

ペン先の素材に使われる14金や18金は独特の弾力性がある反面、

摩耗に弱いので先端(ペンポイント)にはイリジウムなどの

摩耗に強い合金が溶接されています。

ペンポイントの紙に接する部分は職人の手の違いはあまりわかりませんが、

上部の筆記に影響のない部分には同じ149でもいくつかの異なる形状があります。

 

当時の149のペン先職人たちはペンポイントの上部の研磨パターンの中に、

自分が手掛けたという証を残しました。

筆者が好きなのはダイヤモンドとまではいかないのですが、通常よりも多くの面を持つ

多面仕上げのペンポイントで、筆記するたびにペン先の先端がキラキラ光ります。

 

随所に職人の思いが込められている60年代の149で筆記していると、

何十年も前の職人たちと会話しているかのような感覚に。

 

夏目漱石が愛用した一本/オノト

「この原稿は魯庵君が使ってみろといって

わざわざ贈ってくれたオノトで書いたのであるが、

大変心持よくすらすら書けて愉快であった。」

夏目漱石の「余と万年筆」の一節です。

 

オノトはイギリスのデ・ラ・ルー社が1905年に製造し、

翌年日本の丸善が輸入・販売を始めたモデル。

筆のような真っ直ぐなボディにとても柔らかで書きやすいペン先がつけられ、

インクの出もスムーズだったことから、オノトは菊池寛や北原白秋など

多くの作家たちに愛用されました。

当時、漱石はそれまで使っていた万年筆がインク漏れやインク詰まりをするので使用を断念し、

面倒な付けペンで我慢しながら原稿を書いていたそう。

 

そんな漱石がオノトと出会ったことで、それまで興味が無かった万年筆のよさに開眼し

「大変心持よくすらすら書けて愉快であった。」と表現したのは

とても正直な気持ちだったと思います。

筆記のここちよさを感じたときになぜか「愉快」になってしまうのは、

明治の時代も令和になった今も変わらないのですね。

 

黄金期のアメリカで/シェーファースノーケルバリアント™

1950年代の米国は、第二次世界大戦で勝利し大きな繁栄を手に入れ

世界のリーダーとしての自信を持ち始めた夢と希望に満ちた時期。

そんな1952年に誕生した革新的なモデルが「シェーファースノーケルバリアントTM」。

 

スノーケル方式とは、インク吸入機構の一つでペン先をインクで濡らすことなく

充填できるという、他では見られない全く新しい設計に基づくものでした。

これは万年筆のシェアを奪い始めたボールペンに対抗するための挑戦だったそう。

お尻のつまみを回すとペン先の下からストロー状のノズルがスルスルと伸び始め、

ノズルをインクに浸し吸入します。

 

メリットは、ペン先自体をインクで汚すことがないこと、そして瓶の底に残っている

わずかなインクもしっかり吸入できるところ。

筆者は、トライアンフと呼ばれるユニークな形状のペン先からノズルが出てくる光景を

最初に見たときには、なぜかエイリアンを思い出してしまいました。

 

メリットとノズルを出したり引っ込めたりする手間を考えると微妙な感じもしますが、

技術の進歩にはこのような自由で斬新な発想が必要なのです。

 

世界で一本だけの優越感/初代ペリカン スーべレーンM800

モンブランとよく比較されるペリカンですが、歴史はずっと古く1838年に絵具工場として

スタートしています。

しかし、万年筆を販売し始めたのはモンブランよりも遅く、最初のモデルを発売したのは

1929年でした。

当時ペン先は自社生産できなかったため、モンブランから供給されたそう。

 

ペリカンのフラッグシップモデル「スーべレーンM800」は1987年に誕生。

M800の中で最も魅力的な14金のペン先が装着されていたのですが、

わずか2年で18金のペン先に変更されました。

18金と比べ14金は硬さがある分ペン先の板厚を薄く仕上げることができるため、

しなやかで弾力性のある独特の書き味が最大の魅力。

 

ペン先は職人によって14金の板から打ち抜かれ一枚づつ手作業で仕上げられるので、

一つとして同じものはありません。

また、スーべレーンシリーズのトレードマーク「縞柄」はプレシキグラスと

透明セルロースアセテートを交互に重ね合わせブロック状にした後、

断面をスライスして筒状に加工します。

 

初期モデルは手作業で作られていたため縞柄の歪みや幅のばらつきがありますが、

コンピュータ制御で作られた最近のものにはない温かみが魅力。

全て手作業で作られた世界で一本だけのM800。

しなやかで弾力性のある素敵な書き味は、製造から30年以上経った今でも

私を魅了します。

 

カリグラファー御用達/マビートッド ブラックバード

アメリカ生まれでイギリス育ちのマビートッドの看板ブランドは、

自ら大英帝国のペンと称した「スワン」。

その廉価版として1920年代に発売されたのが「ブラックバード」。

 

チャイコフスキーの名曲「白鳥の湖」に登場する、

悪魔に呪いをかけられたオデット「白鳥」と彼女と瓜二つの悪魔の娘の

オディール「黒鳥」を思い出しますね。

 

30代の頃、出張でパリに行き当時ファッション界の中心的存在だった

カールラガーフェルドが衣装を担当したアメリカンバレーによる「白鳥の湖」を

見に行った記憶があります。(ほとんど寝ていましたが)

 

話は戻りますが、ブラックバードはスワンに比べキャップリングを省略されたりして

華やかさはありませんが、フレックスするペン先は特筆もの。

フレックスとは、柔らかいという意味ではなく、しなやかでバネのような

復原力のあるという意味。

筆圧を強くするとペン先のスリットが開き太い線になり、

筆圧を弱くすると細い線に戻ります。

 

しかも、線が太くなったときにインクが途切れたり白抜けにならない、

これがカリグラファーたちにとって理想的なペン先の条件なのです。

ブラックバードのもう一つの魅力は安価なことで、今でも海外のネットオークションでは

とても人気があります。

 

世界が認めた伝説の国産万年筆/パイロット カスタム65

1930年に並木製作所(現在のパイロット)はアルフレッドダンヒル社と提携し

「ダンヒル・ナミキ」を発表しました。

これは、後に人間国宝となる松田權六を含む蒔絵師たちの手による「蒔絵万年筆」で、

アール・デコ全盛期のヨーロッパの人々に大きな衝撃を与えました。

 

ダンヒル社は「ダンヒル」ブランドでの発売を希望しましたが、

並木製作所は「ナミキ」ブランドにこだわり、

最終的に「ダンヒル・ナミキ メイドインジャパン」と刻印されたのです。

たとえ相手が世界的な一流ブランドであっても、下請けにはならないという

並木製作所のプライドと強い信念がうかがえます。

 

ダンヒル・ナミキの発表から53年後の1983年に、パイロットは創立65周年を記念し

「パイロット カスタム65」を発売。

これは、世界に認められたダンヒル・ナミキのフォルムを再びよみがえらせ、

最新技術を結集した自信作。

 

キャップリングには法隆寺の玉虫厨子にも見られる文様「忍冬文」(にんとうもん)

があしらわれ、6,500本の限定で販売されました。

当時の技術顧問、大坂頴一氏が一本づつ吟味調整したペン先はパイロットの

最高傑作とも言われ、欠点のない毛筆のような柔らかく繊細な筆記感は

今でも伝説となっています。

 

第二次世界大戦を終わらせたゾネケン1310 メディカス

万年筆にはいろいろな役割がありますが、中でも歴史を変えるような

国と国との合意文書への署名は最も重要なものです。

 

1930年:ロンドンで開かれた海軍軍縮条約調印式で、各国代表が「パイロット蒔絵万年筆」で署名

1945年:太平洋戦争終結文書に、連合国側代表のダグラス・マッカーサーが「パーカーデュオフォールド」で署名

1951年:サンフランシスコ講和条約で、吉田茂首相が「シェーファーのデスクペン」で署名

 

この他にも、1994年のナポリ・サミットでは各国首脳の調印式で

イタリアのデルタの万年筆が使用されたように、国際的な調印式には開催国を代表する万年筆が

使用されることが多くあります。

その中でも、ここで取り上げた「ゾネケン1310 メディカス」はとても重要な歴史的場面に

立ち会った一本。

 

1935年製造の1310 メディカスはモンブランやペリカンが台頭する以前に

ドイツのトップメーカーとして君臨した「ゾネケン」のフラッグシップモデルです。

第二次世界大戦の末期にヒトラーが自殺し、1945年にカイテル国防軍最高司令部総長が

ドイツ軍を代表してソ連に対する降伏状の署名に使用したのが「ゾネケン 1310 メディカス」でした。

このように、たった一本の万年筆が歴史を大きく変えることもあるのです。

 

終わりに

ヴィンテージ万年筆は、よくわからないとか壊れやすいのではと感じる人も多いと思います。

確かに、数十年も経過していれば劣化や多少の傷があるのも事実。

 

だからこそ、ヴィンテージ万年筆のことをいろいろ調べることによって、

今まで見えなかった時代背景や手作りの素晴らしさを発見することができるのです。

画一化された現代の万年筆には無い個性や、手作りでなければ味わえない感覚に出会える

ヴィンテージ万年筆の世界は、毎日の生活をほんの少しだけ

豊かにしてくれるかもしれません。

 

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